よしお兄さんの卒業発表に寄せて

今日、「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さん、よしお兄さんの卒業が発表された。

 

私の中で、ひとつの時代が終わるなと思った。

 

本名は小林よしひさ、で「よしお兄さん」なんだけど、私は親愛の情を込めて「よしお」と呼びたい。

2010年、第一子である娘を出産したときには、よしおはすでに体操のお兄さんだった。

テレビを介して一方的にではあるけど、長くお世話になったおかあさんといっしょ(以下「おかいつ」)とよしお。東日本大震災のとき、乳児を抱え先の見えない不安に怯える中、いち早く明るい歌を届けてくれたのはおかいつだった。(灰色の映像ばかりの中、ギンギラギンの原色を見せてくれたモノランモノランのことも忘れてないよ!)

 

よしおの思い出ナンバーワンはやっぱりブンバ・ボーン!だ。

 

2014年4月、第二子出産に向けて産休に入ったのと同タイミングで体操「ブンバ・ボーン!」が始まった。

産休入りから数日後、一通のメールが届く。「おかあさんといっしょ」のスタジオ観覧の当選通知だ。

3歳の誕生月から1年間、毎月1回応募できるスタジオ観覧、娘がそのラストチャンスで当選したのだ。収録日は約1ヶ月半後、私の帝王切開予定日の直後だった。外出はおろか家事すらままならない時期。収録には夫が付き添うことになった(彼は生でたくみお姉さんが見られると喜んでいた)。それからというもの、ブンバ・ボーン!を連日リピート再生して娘に踊りを覚えさせる日々が始まり、おかげで私の産休はなんかずっとアルパカパッカパッカちょっとオカピだった。

そして第二子である息子を出産して収録してあっという間に迎えた放映日。スタジオのオープニングでは娘はよしおの隣にぴったりくっついて座っていた。

私は収録に行けなかった悔しさを噛みしめ、目の前の赤子に「タッちゃん、南をおかいつのスタジオに連れて行ってね」と語りかけるしかなかった。(その後、息子の成長とともに時が来て毎月観覧に応募したが、当たらぬまま応募可能時期は終了した)

 

やがておかいつを見る主体は娘から息子に移り、今では息子がおかいつを見ることも少なくなった。おそらく、今回のお兄さんお姉さん交代でほとんど見なくなるだろう。

いま、私のツイッターのタイムラインはよしおと、パートナーのりさお姉さんの卒業を受けたお父さんお母さんの言葉で溢れている。それは、過ぎ去ったわが子の乳幼児期を懐かしむ言葉に等しい。人生の中でも特に慌しく、濃く、それでいて短い時間を一瞬に走ってくれたよしお。これだけ愛されいて器用な人だから、卒業後はきっと、多彩な活躍をするだろう。

 

よしおがどんな道を進んでも、子供たちが大きくなっても、これからも私たちはきっと、ミーアキャットはフラミンゴだ。

 

よしお兄さん、長い間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。